そもそも魚醤は、中国・韓国をはじめ東南アジア一帯で万能調味料として古くから親しまれています。タイのナンプラー、ベトナムのヌクマム、カンボジアのタクトレイや、古代ローマ時代にはガルムと呼ばれる魚醤など、各地の食文化に根付いています。
日本でも古来は醤(ひしお)と呼ばれ、平安時代の諸制度を記した延喜式には「鯖醤」「鯛醤」などが記され、平城京や平安京の市でも売られていたといいます。
秋田の「ハタハタのしょっつる」は、石川の「いしる」や香川の「いかなご醤油」と並ぶ日本三大魚醤のひとつとされています。
しょっつる(塩汁・塩魚汁)の歴史は江戸時代の初期とされ、本来魚と塩だけを桶や樽に仕込んでいた素朴な旨味調味料でした。ところが過去20年近く、本物のしょっつるが、本場である地元秋田から姿を消していたのです。
秋田しょっつるの原料であるハタハタは、秋田県の県魚になっています。
ハタハタは魚偏に神で「鰰」。その昔、厳冬の日本海沿岸の人々にとって、冬の訪れに轟く雷(神鳴り)と共に突然海岸に打ち寄せる獲りきれないほどのハタハタは、まさに神様が遣わした魚と信じられ「鰰(ハタハタ)」と呼ばれるようになったと云われています。
冬、秋田の人々が待ちわびるハタハタ漁。
普段、水深約250mの深海に棲むハタハタが、12月になると産卵のために水深2mほどの沿岸の藻場に大挙して押し寄せるのを、定置網や刺し網で漁獲します。
1970年代までは大量に水揚げされ、冬の間のタンパク源として秋田の食文化に深く根ざしていました。
ところが数十年前は1~2万tもの、まさに無尽蔵とも言える漁獲量だったハタハタが、乱獲のため70年代以降激減。どん底の91年には70tにも激減し、絶滅の危機に瀕してしまったのです。
そこで翌92年から3年間、地元漁師たちは自主的な全面禁漁に踏み切りました。これは漁師たちが自主的に規制をした世界で初めての、そして唯一のケースです。
その後、毎年の資源状態に合わせて漁獲する資源管理型漁業へと転換。この背景には杉山秀樹氏を中心とした秋田県水産振興センターの研究者によるハタハタの生態解明や増殖技術の開発などの尽力がありました。
身を削る行動が実を結び、2000年には1,000t、03年には3,000tを上回るようになり、秋田の「味」は守られたのです。